夕方5時に街の屋外スピーカーから流れる哀愁を帯びた童謡。気分が沈む

随想
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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(写真=PhotoAC

夕方の5時になると街の屋外スピーカーからは、役所が哀愁を帯びた童謡を流し始める。「赤とんぼ」「夕焼け小焼け」「シャボン玉」……。メロディーだけで、伴奏もビート感もなく、うら寂しいことこの上ない。

明るい気持ちで夜を迎えられる曲調だったらいいのに。常々、私はそう思う。例えば、ローリング・ストーンズの「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」ならどうだろうか。歌うミック・ジャガーは「夜を一緒に過ごそう」とエネルギッシュにリビドー全開。5時のメロディーを夜の扉が開かれた合図に変えるのだ。

このように提案しつつも、私自身が街の管理者だったなら、この曲は選ばないだろう。子どもや夫、妻がなかなか帰宅しないと、市民から苦情が寄せられるかもしれないからだ。不用意に欲望を刺激したり、気持ちを高揚させすぎると、人々は夜通し街をはいかいし始める。

5時のメロディーが担う役割は、1日の終焉を伝えること。「仕事もパーティーも終わった。さあ、帰ろう」と促すのだ。この役目を果たすため、1日の疲労、敗北、孤独、後悔などを気づかれないようにじんわり感じさせたい。「今日もお疲れさまでした。疲れましたね。さあ、帰ってゆっくり休むことにしましょう」。ねぎらいと優しさと共に仕事や遊びの手を休めさせ、家路に足を向かわせたい。このように、街の管理者だったら考えることだろう。 

そうはいっても、5時のメロディーはあまりにもの悲しく、もの憂い気分になる。私は我に返るため「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」のような曲を必要としてしまうのだった。

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