哲学

バルタン星人としての私たち ウルトラマンの物語には科学と同時に哲学者が必要だった

随想
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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思えば、ウルトラマンの物語には科学者だけでなく、哲学者も必要だったのかもしれません。哲学者の野家啓一は「科学は一方で人類の『夢』の牽引力であったと同時に、他方では災厄をもたらす『悪夢』の源泉ともなっている」と指摘しています。

 1970〜80年代、私が小学生だった頃、テレビではウルトラマンや仮面ライダーの再放送が行われていました。善側も悪側にも権威ある科学者が登場し、人間を無敵のヒーローに改造したり、未知の怪獣を倒す方法を指示したり、さまざまな困難を解決する神々しい存在として活躍していました。科学者たちはもっぱらホワイトカラーであり、指示や助言をすることに徹し、とてもスマートな存在です。

 初代ウルトラマンには「科学特捜隊」という頼もしい国際機関があり、怪獣や宇宙人によって引き起こされる災害や超常現象の解決に当たっていました。科学特捜隊には幾人かの博士たちが協力していて、日本支部を率いるのは「一ノ谷博士」です。日本支部の秘密基地内部は、まるでジェット機のコクピットのような様相を呈しており、壁面にはコンピュータがずらりと並んでいました。この知的で権威ある空間が、私たちを苦しめる超常現象を解決してしまうのです。

バルタン星人として、ウルトラマンとしての私たち

 弱きを助け強きを挫く科学特捜隊。しかし、子どもの私の目にも疑問が生じてきます。初代ウルトラマンで殲滅されたバルタン星人は本当に悪者だったのでしょうか?

 彼らが地球を訪れた最初の目的は侵略ではなく、故障した宇宙船の修理でした。彼らの故郷であるバルタン星がマッドサイエンティストの行った核実験で壊滅したため、たまたま宇宙船で旅行中だった数十億のバルタン星人が故郷を失い、難民となりました。

 科学特捜隊から業務を委託されているウルトラマンは地球へやって来た、この難民の受け入れを拒否。一人残らず皆殺しにして「解決」してしまったのです。ウルトラマンに課せられたKPI(仕事の達成度合いの計測と評価をするための指標)は3分で1つのタスクを終わらせることでした。

 ウルトラマンだって、このような汚れ仕事はしたくなかったかもしれません。しかし、品質と効率を求める現代社会では、ウルトラマンの立場はあまりにも弱い。科学特捜隊あってのウルトラマンです。(ウルトラマンが汚れ仕事を拒否すると、科学者たちから「悪い宇宙人」と判断されかねません)

「一ノ谷博士」が哲学者だったなら

 もし、「一ノ谷博士」が科学者ではなく哲学者という肩書だったら…。当時の人々の目に「ウルトラマン」というドラマは成立したでしょうか?

 基地内部の壁面を埋め尽くすのがコンピュータ(たとえそれが真空管だったとしても!)ではなく、ヘーゲルやカントの著作だったなら……。彼・彼女らが恐ろしい怪獣や宇宙人たちと戦ってくれるのか不安になるかもしれません。仏教の毒矢のたとえではありませんが、「毒矢が刺さっている人を観察しているばかりで、いっこうにその矢を抜こうとしない」かのように。

 もっとも、ウルトラマンが放送されていた60年代当時ほど、現代の私たちは科学に対して牧歌的な信頼を抱いていません。技術者が提示する提案が必ずしも理想的な解決策ではないことを、私たちは東日本大震災で起きた福島第一原発など、過去の出来事から多く経験しました。哲学者の野家啓一は『科学哲学への招待』でこのように言っています。 

鉄腕アトムから「はやぶさ2」まで、あるいはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から東京電力福島原発の過酷事故まで、科学は一方で人類の「夢」の牽引力であったと同時に、他方では災厄をもたらす「悪夢」の源泉ともなっている。

出典:『科学哲学への招待』(筑摩書房)、「はじめに」より

 科学者の一室に1冊の哲学書があった方が、安心して信頼できるのかもしれません。そう、現代ならば。

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