私がやっちまった失敗談を書いてみたいと思います。
Aさんが聞いてほしかったこと
仕事上のクライアント、Aさん(20代)は仕事のできるガジェット女子です。Aさんは、SIMフリー版のiPhone SEを愛用していますが、修理保証サービスのAppleCareには加入していません。理由は、AppleCareの割高感もありますし、これまで修理へ出す事態に陥らなかったからです。
ところがある日、仕事でAさんに会うと、とてもしょんぼりしていました。そして懐から、なんと蜘蛛の巣状に画面が割れたiPhoneを取り出したのです。
[speech_bubble type=”drop” subtype=”L1″ icon=”2.jpg” name=”A さん”] 寝返りをうったら、割ってしまいました 。[/speech_bubble] [speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”1.jpg” name=”私”] 絶句…! [/speech_bubble]私は、頭のなかが真っ白になってしまいました。というのも、AppleCareに加入していないために、修羅場になった友人、知人たちを何人も見てきたからです。
そして私は、こんなつまらないことをAさんに言ってしまいました。
[speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”1.jpg” name=”私”] AppleCareに加入していたら、画面修理は3,400円[1]で修理できるけど、未加入の場合は12,800 円で、本体そのものの修理が必要な場合は26,800円にもなってしまうんですよ! でもまあ、大丈夫ですよ。[2] [/speech_bubble]我ながら「でもまあ、大丈夫ですよ」とは、何がいったい大丈夫なのか自分でも分かりません。お買い得感があるからこそ、iPhone SEを購入したはずなのに。私もしょんぼりしてしまい、Aさんはさらに肩を落としました。
私の聞き方の問題に気づく
時間が経って冷静になってくると、私の話の聞き方に問題があることを気づきました。
Aさんは修理方法や修理代金のことを知りたかったわけではないのです。そのような情報はすでにご存じだったことでしょう。彼女が聴いてほしかったのは、画面が割れたショックや悲しみなのです。
私が気づいたことは、とても大切で、大事なことです。今回のケースにとどまらず、家族や友だち、仕事関係の人たちへの態度に関わってきます。
禅の教えのように、自分の頭をからっぽにして、人の話に耳を傾けることは大切な姿勢です。でなければ共感も理解もできませんし、そこから生まれるのは「でもまあ、大丈夫ですよ」のような軽薄な言葉になってしまいます。
一方、理解や共感があれば、思いやりのある一言も生まれてきます。次のような一言を、私は投げかけられるべきだったと、あとになって思いました。
[speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”1.jpg” name=”私”]私も画面割れで困ったことがあります。お怪我はありませんでしたか?![/speech_bubble]まずは、自分の頭をからっぽにして、相手の話に耳を傾ける訓練を重ねたいと思いました。
相手に寄り添う言葉
そんな矢先、朝ご飯を食べていると、妻がお弁当のおかずにケチャップをかけようして、テーブルの上にケチャップをこぼしました。私は、とっさに言いました。
[speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”1.jpg” name=”私”](テーブルではなく)服や体にはかからなかった?[/speech_bubble]相手に寄り添う言葉は、キザなくらいがちょうど良いと思うことにしました。