【レポート】呑川の会・第1回講座「呑川の概要と源流支流」馬込、内川の源流を探る

学びと読書
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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旧・内川の源流から水路を辿った結果を報告する寄立美江子さん

東京都大田区を流れる二級河川、呑川。「郷土の川・知ろう・学ぼう・呑川を!」と題して、呑川を学ぶ第1回講座が9月21日、都内の区立図書館を会場に開かれていました。

呑川講座、第1回のテーマは「呑川の概要と源流支流」

故郷の宮城県を流れる名取川に想いを馳せることがあります。川を巡る郷土史の調べ方に関心があって参加しました。生まれ育った地の川に対して説明し難い想いが生まれるようです。

第1回のテーマは「呑川の概要と源流支流」。川のことを学ぶにはフィールドワーク、日本史、地理、地学、都市計画といった各分野の素養、そして郷土愛が必要なことが感じ取れました。

今回は呑川の源流から本流と多くの支流、また呑川と関わってきた馬込を源流とする「内川」を巡り、2人の講師が説明。この講座に協力したのは呑川の生き物、周辺の緑、源流の調査学習等の活動をする「呑川の会」のみなさんです。

白石琇朗さんが「呑川のと支流」について報告

はじめに同会の白石琇朗さんが呑川の主な5本の源流、①深沢流れ②駒沢支流③柿の木坂支流④九品仏川⑤千足流れを中心に説明しました。

白石さんのお話の中で、川を別の川が横取りしてしまう「河川争奪」という地理的現象を興味深く聞きました。かつて、谷沢川は九品仏川を通り呑川に注いでいました。それが浸食により、谷沢川は等々力渓谷と通り、多摩川に注ぐルートになりました。川の流れは人の手以外の要因によっても変わります。

白川さんは日本史、地理、地学、都市計画といった各分野を織り交ぜて、分かりやすく説明してくださいました。

寄立美江子さんの旧・内川を巡る報告

続いて、90歳代の寄立美江子さんが旧・内川を巡る報告。まさしく郷土愛を感じさせるものでした。8月に古地図などを頼りに源流から旧内川の水路を辿った報告です。

寄立さんの説明によると、内川は馬込生まれの馬込育ち。周りに水を振りまきながら流れ、桜の木を育て東京湾に注いで終わる大田区の愛すべき川「だった」と述べました。現在は暗きょ化され、一方、海に近い東海道を横切る新・内川は合流する流れもなく、それゆえその水は海水なのだそうです。

寄立さん源流から歩いた道に川はなく、歩道やトンネル、草原ばかり。しかし、そこにかつて小川が流れていたのです。蛇行して地域を潤した川は治水によって地上から姿を消したり、まっすぐな流れに変わったりしていることに驚かされます。

報告後の質疑では、会場の参加者から質問が殺到。「地元の川」を巡る関心の高さが感じ取られました。

鴨長明は「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と無常感を言い表しましたが、川の姿自体も人や住みかと同じように変化していきます。

第2回講座が楽しみです。

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